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    た。

    「なんとなくわかるだろ、女の子ってさ」と彼は言った。「二十歳とか二十一になると急にいろんなことを具体的に考えはじめるんだ。すごく現実的になりはじめるんだ。するとね、これまですごく可愛いと思えていたところが月並みでうっとうしく見えてくるんだよ。僕に会うとね、だいたいあのあとでだけどさ、大学出てからどうするのって訊くんだ」

    「どうするんだい」と僕も訊いてみた。

    彼はししゃもをかじりながら頭を振った。「どうするったって、どうしようもないよ、油絵科の学生なんて。そんなこと考えたら誰もアブラになんて行かないさ。だってそんなところ出たってまず飯なんて食えやしないもの。そういうと彼女は長崎に戻って美術の先生になれっていうんだよ。彼女、英語の教師になるつもりなんだよ。やれやれ」

    「彼女のことがもうそれほど好きじゃないんだね」

    「まあそうなんだろうな」と伊東は認めた。「それに僕は美術の教師なんかなりたくないんだ。猿みたいにわあわあ騒ぎまわるしつけのわるい中学生に絵を教えて一生を終えたくないんだよ」

    「それはともかくその人と別れた方がいいんじゃないかなお互いのために」と僕は言った。

    「僕もそう思う。でも言い出せないだよ、悪くて。彼女は僕と一緒になる気でいるんだもの。別れよう、君のこともうあまり好きじゃないからなんて言い出せないよ」

    僕らは氷を入れずストレートでシーバスを飲み、ししゃもがなくなってしまうと、キウリとセロリを細長く切って味噌をつけてかじった。キウリをぽりぽりと食べていると亡くなった緑の父親のことを思いだした。そして緑を失ったことで僕の生活がどれほど味気のないものになってしまったかと思って、切ない気持になった。知らないうちに僕の中で彼女の存在がどんどん膨らんでいたのだ。

    「君には恋人いるの」と伊東が訊いた。

    いることはいる、と僕は一呼吸置いて答えた。でも事情があって今は遠く離れているんだ。

    「でも気持は通じているんだろう」

    「そう思いたいね。そう思わないと救いがない」と僕は冗談めかして言った。

    彼はモーツァルトの素晴らしさについて物静かにしゃべった。彼は田舎の人々が山道について熟知しているように、モーツァルトの音楽の素晴らしさを熟知していた。父親が好きで三つの時からずっと聴いてるんだと彼は言った。僕はクラシック音楽にそれほど詳しいわけではなかったけれど、彼の「ほら、ここのところが――」とか「どうだい、この――」といった適切で心のこもった説明を聴きながらモーツァルトのコンチェルトに耳を傾いていると、本当に久しぶりに安らかな気持になることができた。僕らは井の頭公園の林の上に浮かんだ三日月を眺め、シーバスリーガルを最後の一滴まで飲んだ。美味い酒だった。

    伊東は泊っていけよと言ったが、僕はちょっと用事があるからと言って断り、ウィスキーの礼を言って九時前に彼のアパートを出た。そして帰りみち電話ボックスに入って緑に電話をかけてみた。珍しく緑が電話に出た。

    「ごめんなさい。今あなたと話したくないの」と緑は言った。

    「それはよく知ってるよ。何度も聞いたから。でもこんな風にして君との関係を終えたくないんだ。君は本当に数の少ない僕の友だちの一人だし、君に会えないのはすごく辛い。いつになったら君と話せるのかなそれだけでも教えてほしいんだよ」

    「私の方から話しかけるわよ。そのときになったら」

    「元気」と僕は訊いてみた。

    「なんとか」と彼女は言った。そして電話を切った。

    五月の半ばにレイコさんから手紙が来た。

    「いつも手紙をありがとう。直子はとても喜んで読んでいます。私も読ませてもらっています。いいわよね、読んでも

    長いあいだ手紙を書けなくてごめんなさい。正直なところ私もいささか疲れ気味だったし、良いニュースもあまりなかったからです。直子の具合はあまり良くありません。先日神戸から直子のお母さんがみえて、専門医と私をまじえて四人でいろいろと話しあい、しばらく専門的な病院に移って集中的な治療を行い、結果を見てまたここに戻るようにしてはどうかという合意に達しました。直子もできることならずっとここにいて治したいというし、私としても彼女と離れるのは淋しいし心配でもあるのですが、正直言ってここで彼女をコントロールするのはだんだん困難になってきました。普段はべつになんということもないのですが、ときどき感情がひどく不安定になることがあって、そういうときには彼女から目を離すことはできません。何が起るかわからないからです。激しい幻聴があり、直子は全てを閉ざして自分の中にもぐりこんでしまいます。

    だから私も直子はしばらく適切な施設に入ってそこで治療を受けるのがいちばん良いだろうと考えています。残念ですが、仕方ありません。前もあなたに言ったように、気長にやるのがいちばんです。希望を捨てず、絡みあった糸をひとつひとつほぐしていくのです。事態がどれほど絶望的に見えても、どこかに必ず糸口はあります。まわりが暗ければ、しばらくじっとして目がその暗闇に慣れるのを待つしかありません。

    この手紙があなたのところに着く頃には直子はもうそちらの病院に移っているはずです。連絡が後手後手にまわって申し分けないと思いますが、いろんなことがばたばたと決まってしまったのです。新しい病院はしっかりとした良い病院です。良い医者もいます。住所を下に書いておきますので、手紙をそちらに書いてやって下さい。彼女についての情報は私の方にも入ってきますから、何かあったら知らせるようにします。良いニュースが書けるといいですね。あなたも辛いでしょうけれど頑張りなさいね。直子がいなくてもときどきでいいから私に手紙を下さい。さようなら」

    *

    その春僕はずいぶん沢山の手紙を書いた。直子に週一度手紙を書き、レイコさんにも手紙を書き、緑にも何通か書いた。大学の教室で手紙を書き、家の机に向って膝に「かもめ」をのせながら書き、休憩時間にイタリア料理店のテーブルに向って書いた。まるで手紙を書くことで、バラバラに崩れてしまいそうな生活をようやくつなぎとめているみたいだった。

    君と話ができなかったせいで、僕はとても辛くて淋しい四月と五月を送った、と僕は緑への手紙に書いた。これほど辛くて淋しい春を体験したのははじめてのことだし、これだったら二月が三回つづいた方がずっとましだ。今更君にこんなことをいっても始まらないとは思うけれど、新しいヘアスタイルはとてもよく君に似合っている。とても可愛い。今イタリア料理店でアルバイトしていて、コックからおいしいスパゲティーの作り方を習った。そのうちに君に食べさせてあげたい。

    僕は毎日大学に通って、週に二回か三回イタリア料理店でアルバイトをし、伊東と本や音楽の話をし、彼からボリスヴィアンを何冊か借りて読み、手紙を書き、「かもめ」と遊び、スパゲティーを作り、庭の手入れをし、直子のことを考えながらマスタペーションをし、沢山の映画を見た。

    緑が僕に話しかけてきたのは六月の半ば近くだった。僕と緑はもう二ヶ月も口をきいていなかった。彼女は講義が終ると僕のとなりの席に座って、しばらく頬杖をついて黙っていた。窓の外には雨が降っていた。梅雨どき特有の、風を伴わないまっすぐな雨で、それは何もかもまんぺんなく濡らしていた。他の学生がみんな教室を出ていなくなっても緑はずっとその格好で黙っていた。そしてジーンズの上着のポッケトからマルボロを出してくわえ、マッチを僕の渡した。僕はマッチをすって煙草に火をつけてやった。緑は唇を丸くすぼめて煙を僕の顔にゆっくりと吹きつけた。

    「私のヘアスタイル好き」

    「すごく良いよ」

    「どれくらい良い」と緑が訊いた。

    「世界中の森の木が全部倒れるくらい素晴らしいよ」と僕は言った。

    「本当にそう思う」

    「本当にそう思う」

    彼女はしばらく僕の顔を見ていたがやがて右手をさしだした。僕はそれを握った。僕以上に彼女の方がほっとしたみたいに見えた。緑は煙草の灰を床に落としてからすっと立ち上がった。

    「ごはん食べに行きましょう。おなかペコペコ」と緑は言った。

    「どこに行く」

    「日本橋の高島屋の食堂」

    「何でまたわざわざそんなところまで行くの」

    「ときどきあそこに行きたくなるのよ、私」

    それで我々は地下鉄に乗って日本橋まで行った。朝からずっと雨が降りつづいていたせいか、デパートの中はがらんとしてあまり人影がなかった。店内には雨の匂いが漂い、店員たちもなんとなく手持ち無沙汰な風情だった。我々は地下の食堂に行き、ウィンドの見本を綿密に点検してから二人とも幕の内弁当を食べることにした。昼食どきだったが、食堂もそれほど混んではいなかった。

    「デパートの食堂で飯食うなんて久しぶりだね」と僕はデパートの食堂でしかまずお目にかかれないような白くてつるりとした湯のみでお茶を飲みながら言った。

    「私好きよ、こういうの」と緑は言った。「なんだか特別なことをしているような気持になるの。たぶん子供のときの記憶のせいね。デパートに連れてってもらうなんてほんのたまにしかなかったから」

    「僕はしょっちゅう行ってたような気がするな。お袋がデパート行くの好きだったからさ」

    「いいわね」

    「べつに良くもないよ。デパートなんか行くの好きじゃないもの」

    「そうじゃないわよ。かまわれて育ってよかったわねっていうこと」

    「まあ一人っ子だからね」

    「大きくなったらデパートの食堂に一人できて食べたいものをいっぱい食べてやろうと思ったの、子供の頃」と緑は言った。「でも空しいものね、一人でこんなところでもそもろごはん食べたって面白くもなんともないもの。とくにおいしいというものでもないし、ただっ広くて混んでてうるさいし、空気はわるいし。それでもときどきここに来たくなるのよ」

    「このニヶ月淋しかったよ」と僕は言った。

    「それ、手紙で読んだわよ」と緑は無表情な声で言った。「とにかくごはん食べましょう。私今それ以外のこと考えられないの」

    我々は半円形の弁当箱に入った幕の内弁当をきれいに食べ、吸い物を飲み、お茶を飲んだ。緑は煙草を吸った。煙草を吸い終ると彼女は何も言わずにすっと立ち上がって傘を手にとった。僕も立ち上がって傘を持った。

    「これからどこに行くの」と僕は訊いてみた。

    「デパートに来て食堂でごはんを食べたんだもの、次は屋上に決まってるでしょう」と緑は言った。

    雨の屋上には人は一人もいなかった。ペット用品売り場にも店員の姿はなく、売店も、乗り物切符売り場もシャッターを閉ざしていた。我々は傘をさしてぐっしょりと濡れた木馬やガーデンチェアや屋台のあいだを散策した。東京のどまん中にこんなに人気のない荒涼とした場所があるなんて僕には驚きだった。緑は望遠鏡が見たいというので、僕は硬貨を入れてやり、彼女が見ているあいだずっと傘をさしてやっていた。

    屋上の隅の方に屋根のついたゲームコーナーがあって、子供向けのゲーム機がいくつか並んでいた。僕と緑はそこにあった足台のようなものの上に並んで腰を下ろし、二人で雨ふりを眺めた。

    「何か話してよ」と緑が言った。「話があるんでしょ、あなた」

    「あまり言い訳したくないけど、あのときは僕も参ってて、頭がぼんやりしてたんだ。それでいろんなことがうまく頭に入ってこなかったんだ」と僕は言った。「でも君と会えなくなってよくわかったんだ。君がいればこそ今までなんとかやってこれたんだってね。君がいなくなってしまうと、とても辛くて淋しい」

    「でもあなた知らないでしょ、ワタナベ君あなたと会えないことで私がこのニヶ月どれほど辛くて淋しい想いをしたかということを」

    「知らなかったよ、そんなこと」と僕はびっくりして言った。「君は僕のことを頭にきていて、それで会いたくないんだと思ってたんだ」

    「どうしてあなたってそんなに馬鹿なの会いたいに決まってるでしょうだって私あなたのこと好きだって言ったでしょう私そんなに簡単に人を好きになったり、好きじゃなくなったりしないわよ。そんなこともわかんないの」

    「それはもちろんそうだけど――」

    「そりゃね、頭に来たわよ。百回くらい蹴とばしてやりたいくらい。だって久し振りに会ったっていうのにあなたはボオッとして他の女の人のことを考えて私のことなんか見ようともしないんだもの。それは頭に来るわよ。でもね、それとはべつに私あなたと少し離れていた方がいいんじゃないかという気がずっとしてたのよ。いろんなことをはっきりさせるためにも」

    「いろんなことって」

    「私とあなたの関係のことよ。つまりね、私あなたといるときの方がだんだん楽しくなってきたのよ、彼と一緒にいるときより。そういうのって、いくらなんでも不自然だし具合わるいと思わないもちろん私は彼のこと好きよ、そりゃ多少わかままで偏狭でファシストだけど、いいところはいっぱいあるし、はじめて真剣に好きになった人だしね。でもね、あなたってなんだか特別なのよ、私にとって。一緒にいるとすごくぴったりしてるって感じするの。あたなのことを信頼してるし、好きだし、放したくないの。要するに自分でもだんだん混乱してきたのよ。それで彼のところに行って正直に相談したの。どうしたらいいだろうって。あなたともう会うなって彼は言ったわ。もしあなたと会うなら俺と別れろって」

    「それでどうしたの」

    「彼と別れたよ、さっぱりと」と言って緑はマルボロをくらえ、手で覆うようにしてマッチで火をつけ、煙を吸いこんだ。

    「どうして」

    「どうして」と緑は怒鳴った。「あなた頭おかしいんじゃないの英語の仮定法がわかって、数列が理解できて、マルクスが読めて、なんでそんなことわかんないのよなんでそんなこと訊くのよなんでそんなこと女の子に言わせるのよ彼よりあなたの方が好きだからにきまってるでしょ。私だってね、もっとハンサムな男の子好きになりたかったわよ。でも仕方ないでしょ、あなたのこと好きになっちゃったんだから」

    僕は何か言おうとしたが喉に何かがつまっているみたいに言葉がうまく出てこなかった。

    緑は水たまりの中に煙草を投込んだ。「ねえ、そんなひどい顔しないでよ。悲しくなっちゃうから。大丈夫よ、あなたに他に好きな人がいること知ってるから別に何も期待しないわよ。でも抱いてくれるくらいはいいでしょ私だってこのニヶ月本当に辛かったんだから」

    我々はゲームコーナーの裏手で傘をさしたまま抱きあった。固く体をあわせ、唇を求めあった。彼女の髪にも、ジーンズのジャケットの襟にも雨の匂いがした。女の子の体ってなんてやわらかくて温かいんだろうと僕は思った。ジャケット越しに僕は彼女の**の感触をはっきりと胸に感じた。僕は本当に久し振りに生身の人間に触れたような気がした。

    「あなたとこの前に会った日の夜に彼と会って話したの。そして別れたの」と緑は言った。

    「君のこと大

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